久米通賢についてABOUT TSUKEN KUME
久米通賢とは
当館の主な収蔵品のひとつに「久米通賢関係資料」があり、重要文化財に指定されています。
通賢が坂出に塩田をつくり、坂出の礎を築くこととなったため、この地に資料が集まりました。
久米通賢は1780(安永9)年、大内郡馬宿村(東かがわ市馬宿)に生まれました。
1798(寛政10)年、19歳のとき大坂の天文学者 間重富のもとで天文・測量学を学びますが、1802(享和2)年、父・喜兵衛が亡くなると家を継ぐため讃岐に戻ります。以降、様々な分野で才能を発揮して数多くの事績を残し、人々の生活の向上のために尽くしました。そして1841(天保12)年、故郷である馬宿村で62年の生涯を閉じます。
通賢が生きた江戸時代後期は、西洋の科学知識が日本に広く浸透していく時代です。通賢が遺した資料は、このような新しい知識が一般の人々にどのように受け入れられ、活用されていったのかを具体的に示すものとして、高い評価を得ています。
久米通賢(1780-1841)
久米通賢の業績
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01
測量および地図製作
1806(文化3)年に藩から命じられ、高松藩領内の地図を製作するための測量を行います。 地平儀などの測量機器や、現場で数値を記録した野帳類、地形をスケッチした測量絵図帳、地図の下書きである測量下図からは、地図製作の過程がわかります。
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02
天体観測
通賢は帰郷後も天体観測を続けており、観測記録を間家に送っていました。 星眼鏡(天体望遠鏡)や天球儀などの器物のほか、日食、月食、彗星等の天体観測記録があります。
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03
坂出塩田
1826(文政9)年から始まった坂出塩田開発に関連する図面や建築費用の見積に加え、塩生産量や年貢収入の見込み計算書など、塩田の経営に関する資料が多数あります。
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04
銃砲等武器の改良および製造
自ら考案し製作した武器類のほか、それらの図面や使用法等を著した『武備機械鉤玄(ぶびきかいこうげん)』、発火具である雷汞(らいこう)(雷酸水銀)の製造実験記録が遺されています。
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05
その他
1816(文化13)年夏、大坂で牛旋激水(揚水ポンプ)を利用し人工滝の見世物興行を行った際のチラシの印刷木版や、1827(文政10)年に別子銅山を測量した関連資料など、さまざまなものがあります。
久米通賢 略年表
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1780
安永9年
0歳 大内郡馬宿村に生まれる日本のできごと
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1798
寛政10年
19歳 大坂の天文学者 間重富のもとで学ぶ老中 松平定信が寛政の改革を行う
(~寛政5年) -
1802
享和2年
23歳 3月 父喜兵衛が死去し、家を継ぐ秋、藩に召し出される本居宣長が「古事記伝」を著す
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1806
文化3年
27歳 地平儀を製作藩命により高松藩領内沿岸及び街道の測量開始 -
1807
文化4年
28歳 「武備機械鈎玄」3巻を著し、藩に提出 -
1808
文化5年
29歳 伊能忠敬測量隊の接待応接役を命じられる伊能忠敬、幕命により畿内・四国沿岸の
測量を行う -
1816
文化13年
37歳 大坂にて「養老の瀧」を見世物にする以後、大坂・江戸で数回「養老の瀧」の見世物興行を行う江戸や大坂などで見世物興行が人気を博す
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1817
文化14年
38歳 「自然水」を製作 -
1824
文政7年
45歳 百敵砲を製作 -
1826
文政9年
47歳 坂出塩田開発のための測量に着手坂出西新開開発を開始、10月に汐留工事完了 -
1827
文政10年
48歳 別子銅山水抜工事のための測量実施 -
1829
文政12年
50歳 坂出江尻新開・中(東)新開開発開始、汐留工事完了阪出墾田之碑建立シーボルトが禁制の日本地図を持ち出そう
として国外追放になる(シーボルト事件) -
1833
天保4年
54歳 坂出塩田として西新開・中(東)新開、江尻新開が完成天保の飢饉(天保4~7年)
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1836
天保7年
57歳 藩の役目から退き、馬宿村に帰村 -
1839
天保10年
60歳 「生歴木諸品之控(火薬類の製造実験記録)」などを記す幕府、渡辺崋山・高野長英らをとらえる
(蛮社の獄) -
1841
天保12年
62歳 馬宿村にて病没老中 水野忠邦が天保の改革を行う
(~天保14年)
令和2(2020)年度
国庫補助金 重要文化財美術工芸品 久米通賢関係資料 修理事業概要
事業目的
久米通賢(1780~1841)は、江戸時代後期に自らの科学知識を活かしたさまざまな活動により高松藩に貢献した人物です。1,061点にもなる久米通賢関係資料は、通賢の事績を知るうえで最もまとまった資料群であり、19世紀前半における科学知識の受容と活用の実態を示す資料群として、科学技術上において価値が高いとの評価を受け、2014(平成26)年3月に重要文化財に指定されました。 これら資料群のうち経年の変化が大きなものについて、文化庁の指導のもと適切な状況にもどすための保存修理事業に2015(平成27)年度から取り組みはじめ、2020(令和2)年度に終了しました。
修理作業の様子
全体の事業期間
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第1次修理
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2015(平成27)年4月から
2019(平成31)年3月までの4ヵ年
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第2次修理
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2019(平成31)年4月から
2021(令和3)年3月までの2ヵ年
事業体制
文化庁、香川県教育委員会、坂出市教育委員会の補助を得て、公益財団法人鎌田共済会が実施しました。
本年度修理内容の概要
「明リ測量方位記」や「阿野郡北坂出浦沖之手新開地測量地割分間絵図」など文書・記録類、絵図・地図類の古文書33点について、修理前の状況調査をふまえ、解体してクリーニング後に欠失部分の補修、糊離れ箇所の継ぎ直し、裏打ちのし直しなどの修理を、株式会社修美において実施しました。
本年度総事業費および補助金額、収入先明細
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収入先明細(予定)
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国庫補助額
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4,268,000 円
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香川県補助額
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948,000 円
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坂出市補助額
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948,000 円
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事業者負担額
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950,695 円
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総事業費
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7,114,695 円
本事業は、文化庁美術工芸品重要文化財修理事業国庫補助金の交付を受けて実施されています。
Supported by the Agency for Cultural Affairs.Government of Japan in the fiscal 2020