1831(天保2)年7月、丸亀街道(現在の四谷シモン人形館付近)から北上して坂出塩田の新開地に至る道を藩主が通る「御成道(おなりみち)」として整備することになり、十軒あまりの屋敷建物の立ち退きが必要とされたことから、坂出村の住人が計画の変更を願って、塩庄屋に宛てて提出した文書です。坂出塩田に向かう「御成道」についての史料は、この文書以外には確認されておらず、貴重なものといえます。
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